あいやばば
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クリスマスかい?
2011-11-30 Wed 09:15
ナマステ!

 歳をとるのが早いと思ってたらまわりも一緒に歳をとっていまして・・それはそれで当たり前のことなんですけど・・

 たとえばクリスマスなんかは、かなりずっと前からこの日が早く来ればいいね!みたいな煽り方をして、小生なんかは・・そんなに時計を早回しするようなことしなくたっていいじゃないか・・・などと考えちゃうんであります。

 今回はこのクリスマスと言う本来の宗教行事を別にして・・・あ~そうそうそういえば・・みたいなことを。

 巷ではこの時期クリスマス商戦がそちこちで活発に繰り広げられているようですが、小生が主に仕事をしてきたネパール、そして、今いるインドネシアなんぞはクリスマスのクの字くらいはあるにしてもクリまではいきません。

 当然小生の心の中もうきうきそわそわということも皆無です。

 でも恐ろしいですね。 ネパールでキリスト教徒なんて1%にも満たないですが、中流階級以上の家庭ではクリスマスに矢張り特別なプレゼントをするようになりました。 ただ、小生の感ずるところここ10年くらいかと思います。

 王政から議会制民主主義の体系をとって20年余り、貧富の差は益々大きくなりましたが、雇用が増えて、中流階級が増えてくると懐も豊かになり、彼らの目は欧米へ向くことになります。 欧米の文化も大挙して入ってきてますし、もう憧れはイギリスでありカナダ、アメリカ、オーストラリアです。当然のようにクリスマスだのバレンタインだのプレゼントを渡す対象が家族だったり恋人だったりすれば、キリスト教云々はどうでもそのような贈答文化はどんどん受け入れちゃうわけです。恋愛も大分自由な感じがしてきてます。

 日本ではそりゃもう小生が子供の頃から既にクリスマス会なるものが開かれて、仏教徒だろうがキリスト教徒だろうが、各自何かしらのプレゼントを持ってお呼ばれした家でプレゼント交換会を開いて、何が当たるか判らない期待と興奮に包まれて、楽しい時間を過ごしたのをついこの間のように思い出します。 嘘です。大昔の話です。

 小生の生まれた茨城県東海村というその当時特殊な環境にあった村では、今ではありえない“カルチャーショック”という言葉そのままの環境が存在しておりました。

 その当時、特産品といえば“かんそ芋(干しいも)”とゴボウくらいしかなくて、あとは村松虚空蔵尊という「十三参り」で有名なお寺があって、東海村と言う名前が近隣に少しは知れていたという程度でしたが・・・

 日本の原子力のパイオニアとして原子力施設の立地に白羽の矢が立てられ、まずは原子力研究所なるものが出来ました。 昭和31・2年頃の話です。と、時同じくして、日本原子力発電、日本原子燃料公社なるものが美しい白砂青松の地に相次いで建設されたのであります。 そんな環境のいい場所、それまではサナトリウム・・国立結核療養所があったくらいで、村人にとっては青天の霹靂。 村を二分して立地に激論を戦わしたはずです。 結局・・立地推進派が反対派を僅かに上回って原子力施設の建設にGoが掛かったと・・。 その後の国の補助金で一躍日本で一番裕福な村になっちゃいました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小生が小学校の頃、クラスに3人程東京からきた原子力関係の家族の御子息様たちが一緒に机を並べて勉強していました。
 いまでこそ原子力施設なんて日本全国至る所にありますが、その当時は東海村だけでした。 

 当時のシンクタンク集団が大挙して辺ぴな村に集結しまして、官舎と呼ばれる特別地区に戸建ての家をあてがわれ、果ては車も持っていた。昭和30年代終わり、40年前半の頃の話です。当時車を持つなんて商売している人以外おりません。自家用車なんて・・田舎じゃあまり無い話でした。
 
 どこをどうみても、治外法権的な匂いのする地域で、それまでは生徒のほとんどが農家であったことを思うと、研究者集団の人達がどんなに華やかな人達だったのか想像してみてください。 

 田舎には私立の小学校なんてありませんでしたから、ここに、F/よしこちゃん、Ono君、I/シンイチ君の3人が東京から転向して来ました。 3人とも何れも秀才で、難なく体育以外ではベスト3に入ってしまいました。

 前置きがいつも長くて恐縮ですが、ここでクリスマスの話に戻すと・・・。

 要は彼らがクリスマス会なるものを持ち込んできたようなものなのです。

 村にケーキ屋なるものが出来たのは・・・はて?いつだったでしょうか? 今じゃジャスコやら、大手・地方のスーパーがいくつもある村ですが、村でも中心地ではなかったのであんまり記憶にありません。

 残念ながら、よしこちゃんの家にはお呼ばれされませんでしたが、I/シンイチ君ちには2度ほど招待されました。 ショートケーキではなく、ドーナツあたりをシンイチ君のお母さんが手作りしていたと思います。 もうそれだけでカルチャーショックでしたよ。

 官舎の家自体はそれ程大きな家では無かったですが(そりゃ農家の家のほうが2・3倍大きかった)調度品が違う。 なんか西洋っぽい。 茶箪笥じゃなくてサイドボード、ちゃぶ台やコタツ台じゃなくてダイニングテーブル。

 東京もんは何か違う。 よしこちゃんに至っては、まるで手塚治のリボンの騎士がそのまま登場してきたような華やかさを持っていました。 手足細くて、目がクリクリ大きくて、髪の毛すこしクールカールしてあって・・・とにかく可愛い。 可愛すぎた。 で、頭が図抜けていい。 小生なんて正面切って見られませんでしたよ。 全てが「異次元の世界で生きてる人なんだ・・」と思うと、逆に現実的な恋愛感情は生まれず、まるで、芸能人をみるようなスタンスがそこにはありましたね。

 あ~~そのよしこちゃんも5年の終わりに転校。 また東京に戻ってしまったと記憶してますが・・シンイチ君は喘息持ちで、3年ほどで転校、で、Ono君、よしこちゃんと一緒に転校。 背はクラスで一番高くて(小生一番低かったですし)頭もいい。 何かと勝手にライバル心を抱いて・・・なんか勝ち逃げされた感がないでもない。

 ま、しゃーない。 東京もんは東京が似合う。 田舎じゃ所詮暮らせねーべ。
それで、も一つ感心したのが、都合4年間一緒に過ごしたけれど・・一切訛りがないまま帰ったこと。 逆に我々地元民のほうがつられて標準語っぽいのを話していたように思います。 

 このドーナツうめーなぁ・・ではなくて・・美味しいね。 

 シンイチ君には申し訳ないけど・・・ドーナツ美味しいんだけど・・美味しくないんです。 紅茶なんかも多分その時が始めて。 器の下に皿が付くなんて・・これ邪魔~くらいにしか思えませんでした。 何しろ気を遣う。 使い慣れないヒョージュン語・・もろもろが絡み合って・・堅苦しさばかりが残るクリスマス会だったわけです。

 彼らの家に呼ばれると、お母さん達のレベル?立ち居振る舞いを比較してしまう自分がいました。 授業参観などにはおふくろをわざと呼ばなかったり・・別にそれが理由でもないのですが、参観日の通知を出さないことしょっちゅうでした。

 小学校も高学年になるころには、クリスマス会なんてものは子供会で開催するようになって、いろいろな企画を考えてとにかく楽しく過ごせることを考えました。 が、皿付きで紅茶を飲む・・ということはなかったですね。 

 クリスマスにまつわる話し・・イブの日に幸福感を味わったことはその後数十年皆無。

 せいぜい、男同士で飲みに行って2軒目のスナックあたりで、とんがり帽子をかぶって、ケーキ出されてカラオケ歌う・・

 虚しい時間の繰り返し・・・それが小生のクリスマス・・・。



   さびしい人生じゃないか・・・




   そんなことを書くために今日はテーマを決めたわけじゃ無かったのだが・・。





     時間を元に戻せるなら




    こんどはよしこちゃんちでクリスマス会を・・・





          そんなこと会!



  でわでわ また


<あらま・・あしたはもう12月・・早ッ!>
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